湛井堰十二ケ郷用水

たたいぜきじゅうにかごうようすい

 

●十二ケ郷用水の起源は平安時代初期といわれている。
●昔は現在の井堰より約1キロメートル下流の六本柳(通称六本)に井堰があったが
 川の流れの変化によって、用水の取り入れが難しくなり、平安前期に現在の場所に
 井堰が造られた。
●平安末期1182年に、妹尾兼康(せのおかねやす)(平家の有力な家人)によって大改修が
 行われ 現在のような用水になったと伝えられている。
●十二ケ郷とは、刑部郷(おしかべごう)・真壁郷(まかべごう)・八田部郷(やたべごう)・三輪郷  (みわごう)・三須郷(みすごう),・服部郷(はっとりごう)・庄内郷(しょうないごう)・
 加茂郷(かもごう)・庭瀬郷(にわせごう)・撫川郷(なつかわごう)・庄郷(しようごう)・妹尾郷 (せのうごう)をいう。
●井堰は、松丸太で作った底枠を川底に沈め川石を詰め、更に上枠を置いて川石を詰めていく という方法で川を堰き止めていった。