荒平山城跡  (あらひらやまじょうせき)

 

 1.所在地 総社市秦2785番27
 2.築 城 1429~1440年 
 3.城 主 川西三郎左右衛門之秀
 4.落 城 天正3年(1575年)
 5.概 要
     荒平城は室町時代中期、永享年間(1429~1440年)に築城されたと云われる。
   天守閣を持たない城で、防御柵と土塀で造った7壇の砦で出来ている。戦時のみの
   山城で、平時は麓に館があったと思われる。(秦下の平城地区か)
    天正3年(1575年)の備中兵乱では城主川西三郎左右衛門之秀は松山城主三村元親
   に味方した為、毛利軍の攻撃を受けた。伊予部山に陣を構えた毛利軍は、1月17日
   山麓に火をかけ攻め寄せたが、山は急峻で川を控えた無双の要害で、城兵は石や
   木を落とすなどし反撃。毛利勢は数百人の死者を出し、後も見ずに逃げ去った。
    これを聞いた小早川隆景は(小敵と云えども侮る勿れ)と1万5千の大軍をもって
   総攻撃をかけた。之秀以下城兵300よく奮戦するも多勢に無勢、ついに19日之秀は
   城兵の助命を条件に降伏し讃岐へ落ちた。
   (参考)川西三郎左右衛門之秀の碑が秦八幡神社近くに在り。